Kanadead or alive

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迫りくる岡本太郎

先日帰郷した際に機会があったので、岡本太郎美術館に行ってきた。
岡本太郎自体そんなに興味のある人物ではなかったのだけど、太陽の塔を目の前で見て中に入り生命の樹を見た途端に、安っぽい言葉でいうと、私の中で神のような存在になってしまった。
もう私は、岡本太郎の呪縛から逃れられない。

岡本太郎美術館の存在は実家からそんなに遠くなかったので子供の頃から知っていたのだが、やっぱりそんなに興味があるわけではなかったので特に行くこともなかった。
中学生の夏休みの宿題で「美術館に行ってレポートを出す」という宿題が出た時に学年の三割ぐらいがこの美術館に行ったほど近い場所にはある。

美術館のある生田緑地という場所は、川崎市の子供なら小学校の遠足や社会科見学などで必ず行く公園だ。
私は東京都町田市の公立学校出身なはずなのに、神奈川県川崎市の運営であるはずのこの公園に行った記憶がある。多分小学校の遠足か社会科見学だったはずだ。
中には日本民家園という施設があり、この辺が必ず小学校の学習で必要な資料が残っているから行ったのだと思う。水車があったり、茅葺き屋根の家があったりとか、よくあるあれ。

そんな公立の公園の中に岡本太郎美術館はある。

岡本太郎は生前、自分の作品を川崎市に寄付をした。だから川崎市の運営する公園に彼の美術館がある。
アーティストが自分の生まれ育った自治体に何百もの作品を寄付する理由とは何なのだろうか。

芸術家が芸術家である理由は様々だ。
お金のため、名声のため、地位のため。
彼はすべてを手に入れることが可能だったはずだ。でも彼は作品を川崎市に寄付してしまうのだ。それを売れば、孫以上の代まで遊んで暮らせるお金が手に入るのに。
彼は自分を芸術家とは呼ばなかった。「職業、岡本太郎」と言っていた。
職業が岡本太郎ならば、別に自分の作品でお金を稼ぐ必要なんか無いのだ。岡本太郎岡本太郎である事を選べればいいのだ。
そして岡本太郎は、芸術をもっと身近なものにするために作品を作り続けた。
日本人にとって最も身近な芸術家の一人であると思う。

美術館の中に入ると、今回の常設展は「岡本太郎とからだ」という常設展だった。
中には無数の身体にまつわる作品がこれでもかと言うぐらい並んでいた。
特に彼の作品には目や手が多いことがわかった。
彼の有名なフレーズに「芸術は爆発だ!」というフレーズがあるが、作品を見る限りはすごく繊細で、計算的で、すごく上品な物が多い気がした。

この辺の作品を見る限りでは、そんなに身近に感じられない。「からだ」という身近な題材であるが、普通の芸術作品に見える。
なんだか普通の美術館に来たような感じで、美術館で同じ人間の作品ばかり見るのはどんなに小さな規模でも少々飽きる。また、奇抜な色使いが多いので、少々目が痛くなる。それぐらいこれでもかと並んでいた。

だけども、展示の後半になるにつれてかっこつけた作品が少なくなった。
絵画をタイルアートにしたものが増えた。タイルアートは多くの建物の壁になっている。お寺の鐘なんかもあった。
そして、グラスの底に顔があるウィスキーの景品や、ポットとカップのテーブルセット、トランプに椅子やテーブル、時計、と日用品が多くなってきた。
そしてとうとう、企画展の「街の中の岡本太郎 パブリックアートの世界」に突入して何かが覚醒する。

まず企画展会場の入口には、彼の構想や彼の思想、彼の歴史などが簡単に文章と映像で展示されている。その時点で、彼は「迫って」来る。
それを読んだ後に中に入ると、建築物(マミ会館)やモニュメントのミニチュアが沢山展示されていた。今でも現存し有名な物から、もう現存しないものまで様々なミニチュアや壁画が展示されていた。

いろんな施設の壁画、モニュメント、椅子、浴槽、企業のロゴ。
彼の作品はあまりにも身近すぎる。
そこで気付いた。

岡本太郎は芸術をもっと身近なものだと知ってもらうために、彼から私達に寄ってきたのだ。

もし彼がすごく長寿、もしくは彼の弟子が居たり彼の意思を継ぐものが居たとしたら、きっと今でも街中は岡本太郎で溢れかえっただろう。支配されただろう。
それぐらい彼は沢山のものを吸収して、放出していた。

太陽の塔の見学に行ったとき、私は岡本太郎に対して宗教家に近い何かを感じた。
最後の最後に「芸術は呪術だ」という彼の言葉ですべて腑に落ちた程の恐ろしい信念と思想を感じた。
「職業、岡本太郎」という言い回しはとてもストレートすぎる。表現者としての完成形だった。
もちろん彼は彼であるために、何も惜しまなかった。勉強をたくさんした。研究もたくさんした。いろんな国へ行った。いろんな国の言葉を喋った。
自分の持っているものをすべて放出して、いろんな都市にモニュメントを作り、いろんな世界の風景を変えた。それもすごく自然に。
彼が民族研究をしていたのにも納得できる。民族を収めるには何かが必要だ。
モニュメントだったり、掛け声だったり、人間だったり。
それがやがて信仰になり、宗教へと変化していくのだが彼はそれを待たなかった。
芸術・表現という道具を使って自らどんどん侵略していった。
すごく恐ろしいことだ。もし性格や思想が違えば独裁者になっていたかもしれない。
それぐらい、身近にありすぎる沢山の作品を見て、私はまた岡本太郎が恐ろしくなった。

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いつだったか、東大の食堂の壁画が食堂老朽化により撤去されたというニュースを見た。

東京大学中央食堂の絵画廃棄処分について | 東京大学

このニュースを見て人々は「もったいない」「芸術的価値が云々」「文化財は」とかそういう言葉を並べていた。実際この謝罪文はなんとも言えない謝罪文だが、私はこの作品の処分自体は壁画としての価値を全うしたと思い、別に間違っていなかったと思う。
新しい建物に壁画を作るならまだしも、建て替える建物を壁画ありきで立て直す必要はあるのだろうか。
※今回はパブリックアートについて話をしたいので、この作品の作者がどう思っているかということに関しては触れないことにする。作者や遺族激おこかもしれないけど、今回は私の考えを淡々と書く。

岡本太郎の話に戻すと、彼のパブリックアートにはもう現存しないものが沢山存在する。日本で一番身近な芸術家のパブリックアートが現存していないというのは、なぜだ。
答えは簡単で、その提供した施設・場所がなくなれば、モニュメントや壁画になんかに価値なんかなくなるのだ。

芸術は身近な存在で、すぐとなりにあるべきだ。
その建物に価値がなくなってしまったのならば、その壁画は必要なんだろうか。
その壁画に価値はあるのだろうか。

彼は無いと考えたから、現存しない作品が多々存在するのだ。

人間が作ったものが無になるとき、自分の作品にだけ価値をもたせて残すなんて多分彼の思想にはないのだろう。
もしかしたら、太陽の塔も万博終了と共に壊しても良かったのかもしれない。
今でも残る太陽の塔を見て、また命を吹き替えした太陽の塔を見て彼は笑うのかもしれない。